コラム

つながり

梅雨明けの候、皆様いかがお過ごしでしょうか?
外は大暑。ようやく、夏らしい暑さがやって来ました。

先日、HPを見てお越しくださったお客様に「タカツグのコラムが全然更新されてない!」とご指摘いただき、「では何かテーマを」とお願いした所、「”つながり”で」とテーマを頂戴いたしましたので、久々にキーボードを叩いている次第です。

人は、あらゆるつながりの中で生きています。誰一人として、独りで生きていくことのできるモノなどいない。山奥に独りこもり、社会的な生活から隔絶されて生きているとしても、そこでは自然とつながり、その営みに寄り添って物を得ていかなければ、生きていくことはできないのです。それは人間だけでなく、動物とて同じこと。

今のあなたの生活はどうでしょう。

幸せ、不幸せ。充足、枯渇。それぞれの人が、それぞれの人生を生きています。山があれば谷もある。しかし、今の世を生きることは往々にして残酷で、時に軽薄で、時にふっと、消えてしまいたくなる。そんな時、誰にも頼らず一人で生きていくことのできる人間を「強い人間だ」という人がいます。でも、本当にそうでしょうか。

 

誰かを愛せば傷つきます。
誰かを信じれば裏切られます。
誰かを求めれば拒絶されます。
そんな時も、あります。

 

誰かを愛することで、一人では見ることの出来なかった景色が見えたり、強くなれたり、前向きになれたり。それは事実ですが、その優しい現実だけが、愛のすべてではないことを多くの人が知っています。きっと、あなたも。

あれだけ信じていた永遠は、ある日突然に、一瞬にして崩れ去り、あんなにも愛していた誰かが、他の誰かと寝ていたり。ふとした時に人は、他人を疑い、自分を守ろうとする。だけれども、その傷や裏切りや、拒絶の恐怖を越えた向こう側に、最も大切なものがあることもまた、多くの人が知っています。人はそれを、信頼や純愛という言葉に置き換えようとする。だけれども時に、人と人の関わりやつながりの中で傷つき、裏切られ、拒絶されることがあるのは事実です。

 

けど、それでいいんじゃないかなって。
本当の強さとは、そうした他人の弱さを認め、
受け入れることのできる気持ち。
それこそが、本当の強さなんじゃないかなって。

独りで生きていくことが強さだとは、僕には思えないのです。

 

つながり。その移り変わりを友に例えるなら。

私たちは、出会います。
そして、互いの存在に自分の居場所を求めた時、友となる。
そしていつしか、「親しい友」となる。
そしていつしか、「信じることのできる友」となる。
そしていつしか、「心の友」となる。
「しんゆう」にも、段階があります。

つながり。その移り変わりを愛に例えるなら。

ふたりの人間が出会い恋をします。
その「恋」はいずれ、「愛」となり、
その「愛」はいずれ、「情」となり、
その「情」はいずれ、「絆」となる。

「恋 愛」は「愛 情」を経て、「絆」になる。
出会った時から永遠につながることを確約は出来ない。
そうであれば嬉しいと、心の底から願うことしかできない。

独りよがりな恋から始まり、相手のすべてを受け入れようと、自分を受け入れてもらおうと精一杯愛し合い、互いに信じ認め合って情となり、いつしか互いに何があっても、遠く離れても離れることはないだろうと確信する、絆というつながりになる。

同じ道を共に寄り添って、共に行ったり来たり、折り返したり。右往左往。

そうして初めて、決してほどけることのない絆が、愛する人や親友と結ばれる。

だから、自分の寂しさや孤独、辛さや悲しさを、誰か自分以外の人のぬくもりで埋めようとしても、その気持ちを恋だ愛だ友情だと言って誰かにすがろうとしても、相手の気持ちに寄り添い、相手と共に歩み、相手と共に右往左往できなければ、絆は結べない。自分の不安や寂しさや孤独を、もっともらしい言葉に言い換えて、好きだ、愛してる、ずっと一緒だとうそぶいても、なんの意味もない。

そして相手の気持に寄り添っても、相手が自分に寄り添わないなら。
同じ道を行ったり来たり、右往左往することのできない相手なら、絆は結べない。そう考えると、本当に愛し合える人と出会えることは、本当に信じ合える友と出会えることは、本当に奇跡的な幸せなことなのかもしれません。

 

この世を生きていくことは、思い通りにならないことばかり。
突然の病。突然の裏切り。突然の非難、誹謗、中傷。拒絶、断絶、出会い、別れ。あらゆることが思い通りにならず、あらゆることが自分に牙を向けて襲い掛かってくる夜がある。辛くて悲しくて、叫びだしたくなる夜がある。

けれどもしあなたが今、なにか大きな問題や不安を抱えているとしたら。
他人を遠ざけて、独りで生きることを自立だなどと言っても意味がありません。
人だけでなく、この世に生きる者は等しく、独りで生きていくことは出来ないのです。

そしてもし、あなたの抱える問題のために愛する誰かを悲しませたくないと、その人の元から去ることや、もう傷つくことに疲れ、誰も愛さず一人で生きていこうなんて考えているとしたら。

それを愛だ強さだというなら、それは大きな間違いだと思うのです。

 

人は弱いから、つながるんだと思います。
そして、人は弱いから、誰かに優しくできるんだと思います。
人は皆、自分が弱いことを知りながら認めようとしないもの。
弱さは、ダメさの表れのような気がしてしまって。

だけど、弱い人こそ、強くなれる。
弱さを知らない者は、誰かの傷を受け止めることが出来ない。
最も恥ずべき弱さは、自分の弱さを認めない弱さです。

ツラいねって、悲しいねって、だけれども明日も笑い合いたいねって。
あなたと一緒なら、笑っていられる気がするから。
楽都に来れば、明日も笑えそうな気がするから。
そうやって、人は人と、楽都とお客様は、つながっていけるんじゃないかなって。

 

だったら、弱いって、素敵なことなんじゃないかなって。

 

美味しいものを食べて、旨い酒を飲み、楽しい気持ちでお金を払って帰っていただく。それは、飲食店として当然の仕事です。でも、そこを一歩超えて、誰とも会いたくない夜でも、独りでいたい夜でも、そんな夜だからこそお越しいただける楽都でありたいなって。

いや、「アタシすごく弱いんです!ツラいんです!悲しいんです!だから楽都に来れば癒してくれるって聞いて!」とかいきなり来られたら、俺もマコトさんもドン引くけど(笑)。マコトさんとか相当冷たいと思うけど(笑)

だけれども、少しずつでもいいから、そんな弱い自分自身もさらけ出しながら、互いに分かり合い、みんなでつながっていけるような、そんなお店にできたら、そんな自分でいられたらなって思ってます。

 

僕とマコトもまた、多くの弱い人間の一人です。だからこそ、
弱さの意味を知り、強さの意味を履き違えず色んな人とつながっていける。
そういう楽都でありたいものです。

僕とマコトでよければ、いつでも話、聞きますよ。
つながり。そんな素敵な言葉をテーマに結局、営業かよっていうね(笑)

このコラムを書くきっかけとなってくれた彼女に、この文章を。
あなたの何かのきっかけになってくれればと願いつつ。


紛争地へ行くということ

かの地で、一人の女性ジャーナリストが銃撃を受けて亡くなりました。楽都とはなんの関係もないっちゃないのですが、なんとなく書き記しておこうと思って。

私(タカツグ)も20歳の時、戦後間もないアフガニスタンへ渡りました。当時、難民支援NGOの代表をしていた私は、難民の生活調査をするため2年半の間にアフガンへ三度出向き、合計三ヶ月弱の滞在をしました。

炎天下の砂漠の中、地平線まで続く難民キャンプ。薬がなく病気の治療ができない子どもたち。そして遠くに響く空爆の爆撃音と、空気の振動。自分を見下ろす、頭上の爆撃機。そんな非日常的な日常を、たくましく笑顔で生き抜く人々。

20歳の私には、すべてが刺激的で、すべてが絶望的で、すべてが希望とともにあり、すべてが日本という国のある種、「生きることが当たり前」な空間の中に生じる歪みを教えてくれました。

 紛争地で生きることは決して、幸せなことではない。
 しかし、日本に生きることがすなわち、幸せだとも言い切れない。

「紛争地に行ったのだから、死ぬのは当たり前、なんなら迷惑だ」という人がいます。

その通り。誤解を恐れずに言うならば、紛争地に行く人間は死んではならないし、死んだ事実は迷惑です。生きていなければ、真実は伝えられない。死んだ後、自分の想いを伝えることはできない。だから、決して死んではならない。

だからこそ、私はアフガンで「死ぬ気で死なないように安全確保を」と、とある紛争地ジャーナリストに教えられました。しかしそんなの、紛争地に赴く人間の中では常識です。そんな自分でも、強盗に追われて1時間以上、死のカーチェイスをしたこともあります。だから私もアフガンへ行く度に遺書を書き、リアルな死を前に必ず生きて帰ってくると胸に誓い、死ぬ気で安全確保に努めました。

しかし、なぜ命を賭けてまでその人がそこに行ったのか。
それを考えようとしたときに、きちんとその人の気持ちを思えるかどうかが重要だ、と私は思うのです。

英雄になりたかったから。金が欲しかったから。日本を憎んでいたから。死にたかったから。どう思うかはあなた次第ですが、いま頭によぎった理由の多くは、今のあなたが求めているものだったりします。そして、どれだけ多くの理由を考えることができるか。それが、今のあなたの人間としての幅であり、それが自分の命に対する応えでもあったりします。死んで当たり前、としか思えないなら、あなたがあなた自身の命に対し、死んで当たり前、としか思っていないと言うこと。

理解するか、賛同するかどうか、ではなく、他人の思いに寄り添えるかどうか、です。そして寄り添った上で、それでも私は紛争地に行くのは違うと思う。私は行かない。と自分の思いを表明する。どれだけ考えても分からないなら、分からない、と表明する。それでいい。誰しもに、誰しもの思いを否定する権限などないわけで。

いつの世も、引き金を引くのは人間ではなく体制、システムです。環境が、人を変えてしまう。環境が、あなたを変えてしまう。彼女は決して、自分を撃った兵士を憎んではいません。そうさせてしまった現実のシステムを憎んでいることでしょう。そこには、私やあなたの無関心も含まれます。

願わくば、彼女の死を迷惑ごと、自己責任不足と切り捨てるのではなく、彼女の献身を、伝えた事実を称えられる国であって欲しいものです。彼女の死が迷惑な国ならば、どんな形であれあなたの死も迷惑だと切り捨てられるのでしょう。

楽都には、誰一人、そうして切り捨てて良いお客様などいやしません。


よいお年を!

皆さま、今年も残すところあと僅か。ひっそりと、来年の足音が聞こえてくるようです。
皆さまにとって、この1年はどのような1年でしたでしょうか?
ある方には最良の1年であったり、ある方には最愛の人と別れてしまった悲しい1年であったり、ある方には何事もなく平穏無事な1年であったり、ある方には波瀾万丈、激動の1年であったかもしれません。

タカツグとマコト、私たち2人にとっては、何をおいても楽都と共に歩んだ1年でした。去年の今頃、内装の工事が完了してがらんとした店内を2人で眺めながら、「何があっても前向きに頑張っていこう」と話をした日を、まるで昨日のことのように思い出します。

あれから1年、私たち2人はかけがえのない皆さまとの出会いに恵まれ、こうして笑顔で1年を終わることが出来そうです。本当に本当に、お店へお越し下さった皆さまには感謝のしようがなく、ふとした拍子にいつも、「私たちはお客様にきちんとした還元が出来ているんだろうか」なんて、弱気に考え込んでみちゃったりしてみちゃったりしてるんだよ。こう見えて(笑)

でも、毎日を一生懸命やっていくしかないんですよね。
しんどい時は歯を食いしばって。嬉しい時は惜しげなく笑って。
きっとその先に、今にも増して最高に素敵な日々があるって信じながら。
そうすればきっと、数十年後にはとってもハッピーになっているわけで。

昼間の仕事を辞めてお店をオープンしたこの1年、本当にたくさんの方々の優しさに囲まれて過ごすことが出来ました。それだけでも本当に幸せな毎日でしたが、来年は、その喜びを少しでも皆さまにお返しすることができるよう、楽都をもっともっと素敵なお店に作り上げていきたいと思います。いつでもいつまでも、多くの方々に愛されるお店を目指して、来年も誠実に、一生懸命、気合いを入れて頑張っていきますね。

最後になりましたが、こんな私に文句一つ言わず支えてくれるKENちゃん、ぴぐみ。いつもありがとう。

そして、こんな私と夢を分かち合い、共に歩んでくれるマコトさん。
いまも出会った頃と変わらず、いや、出会ったときにも増して愛しています。

そして、そんな私たちをいつも気にかけて下さる皆さま。

今年も本当に色々とお世話になりました。
皆さまとの出会いは、私にとってかけがえのない宝物です。

また来年も素敵な年を過ごせるようタカツグも頑張りますので、たくさんたくさん、笑いながらたくさんたくさん、お酒を飲みましょう(笑)

それでは皆さま、よいお年をお迎え下さい!


桜の季節。

お花見に行きたいけど行けない…。くそ~っ。

皆さん、絶好のお花見日和だった先週末、綺麗な桜を見に行かれましたか?
今年は直前に冷え込んだりしたためか、いつもよりお花見シーズンがちょい遅め、かつ長く咲いているような気がします。

いつも、桜の時期になると前に住んでいた尼崎の桜並木を思い出します。20歳を過ぎた頃、仕事の関係で引っ越した尼崎の園田駅近辺には友人が多く住んでおり、気軽にルームシェアなどをしながら皆で住んでいました。僕も友人とルームシェアをしていて、酔っぱらってはいつも、とんでもなく迷惑をかけ続けたものです(笑)

その当時、皆がバラバラになることなんて想像もできませんでした。
きっと、いつまでも、みんなでワイワイとした時間が続いていくものなんだろうと思い、「こんな時間は、有限の時である」という思いから目をそらし続けたものです。

もちろんその後、皆がそれぞれに自立していき、僕も沖縄という大事な土地を経て尼崎から引っ越し、堂山にお店を開いたわけで。

とある友人は結婚して子供を産み、奈良の山奥で半農暮らしをしていたり、とある友人は福祉作業所で奮闘していたり、とある友人は弁護士となって毎日を忙しく過ごしていたり…。皆が皆、自分の道を歩んで行っています。

そして毎年、それこそ長い悠久の時の中、毎年変わらず春に咲く桜を見ると、「あっ、今年も春が来たっ!」て心躍る反面、少し寂しいような、でも嬉しいような気持ちで後ろを振り返ります。

そしてそこに、全く色褪せることなく、輝き続ける思い出を見つけます。

時間の流れは時に残酷に、けれどもすべての人に平等に流れ続けていく物。
しかし、その一瞬一瞬の時の中で築き上げてきた思い出は、それこそ永遠に残り続ける物ですよね。

今思えば、どうでもいいことを発端に本気で喧嘩してしまったあんな日や、楽しすぎて笑い続けていたあんな日や、友人の結婚報告に心躍ったあんな日、そして、相方と出会ったあの日。すべてが、今の自分にとって必要だった思い出の数々。

桜の花びらが散るように、一つ一つを大切に思い出しながら、心の奥底にそっとしまい直す。
僕にとってのお花見は、そんな時間の一つです。

桜の季節、毎年そんなことを思いながら、散りゆく桜を眺めます。
また来年、新しい自分に出会えることを期待しながら。
新しい出会いに恵まれることを祈りながら。

皆さんに、素敵な春が訪れますように。


楽都の目指すもの

初めまして。タカツグです。このページにたどり着かれたのも何かのご縁。
長くなりますが、少々おつきあいください。

私たち、タカツグとマコトが付き合い始めてオープンに至るまで3年半。出会った当初から、いつか二人でお店を持つことを夢見てきました。

私たちが目指してきたのは、お客様が

・美味しい料理が食べられる
・一人で気楽に来店できる
・会話が楽しめる
・笑顔で帰れる
・出会いがある
・ありのままの自分でいられる

お店を作るということです。
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