コラム

紛争地へ行くということ

かの地で、一人の女性ジャーナリストが銃撃を受けて亡くなりました。楽都とはなんの関係もないっちゃないのですが、なんとなく書き記しておこうと思って。

私(タカツグ)も20歳の時、戦後間もないアフガニスタンへ渡りました。当時、難民支援NGOの代表をしていた私は、難民の生活調査をするため2年半の間にアフガンへ三度出向き、合計三ヶ月弱の滞在をしました。

炎天下の砂漠の中、地平線まで続く難民キャンプ。薬がなく病気の治療ができない子どもたち。そして遠くに響く空爆の爆撃音と、空気の振動。自分を見下ろす、頭上の爆撃機。そんな非日常的な日常を、たくましく笑顔で生き抜く人々。

20歳の私には、すべてが刺激的で、すべてが絶望的で、すべてが希望とともにあり、すべてが日本という国のある種、「生きることが当たり前」な空間の中に生じる歪みを教えてくれました。

 紛争地で生きることは決して、幸せなことではない。
 しかし、日本に生きることがすなわち、幸せだとも言い切れない。

「紛争地に行ったのだから、死ぬのは当たり前、なんなら迷惑だ」という人がいます。

その通り。誤解を恐れずに言うならば、紛争地に行く人間は死んではならないし、死んだ事実は迷惑です。生きていなければ、真実は伝えられない。死んだ後、自分の想いを伝えることはできない。だから、決して死んではならない。

だからこそ、私はアフガンで「死ぬ気で死なないように安全確保を」と、とある紛争地ジャーナリストに教えられました。しかしそんなの、紛争地に赴く人間の中では常識です。そんな自分でも、強盗に追われて1時間以上、死のカーチェイスをしたこともあります。だから私もアフガンへ行く度に遺書を書き、リアルな死を前に必ず生きて帰ってくると胸に誓い、死ぬ気で安全確保に努めました。

しかし、なぜ命を賭けてまでその人がそこに行ったのか。
それを考えようとしたときに、きちんとその人の気持ちを思えるかどうかが重要だ、と私は思うのです。

英雄になりたかったから。金が欲しかったから。日本を憎んでいたから。死にたかったから。どう思うかはあなた次第ですが、いま頭によぎった理由の多くは、今のあなたが求めているものだったりします。そして、どれだけ多くの理由を考えることができるか。それが、今のあなたの人間としての幅であり、それが自分の命に対する応えでもあったりします。死んで当たり前、としか思えないなら、あなたがあなた自身の命に対し、死んで当たり前、としか思っていないと言うこと。

理解するか、賛同するかどうか、ではなく、他人の思いに寄り添えるかどうか、です。そして寄り添った上で、それでも私は紛争地に行くのは違うと思う。私は行かない。と自分の思いを表明する。どれだけ考えても分からないなら、分からない、と表明する。それでいい。誰しもに、誰しもの思いを否定する権限などないわけで。

いつの世も、引き金を引くのは人間ではなく体制、システムです。環境が、人を変えてしまう。環境が、あなたを変えてしまう。彼女は決して、自分を撃った兵士を憎んではいません。そうさせてしまった現実のシステムを憎んでいることでしょう。そこには、私やあなたの無関心も含まれます。

願わくば、彼女の死を迷惑ごと、自己責任不足と切り捨てるのではなく、彼女の献身を、伝えた事実を称えられる国であって欲しいものです。彼女の死が迷惑な国ならば、どんな形であれあなたの死も迷惑だと切り捨てられるのでしょう。

楽都には、誰一人、そうして切り捨てて良いお客様などいやしません。